幸せになるための方法(100回聴きテープを文字にしました)
幸せになるための100回聴きテープというのを入れますよ。
良く聞いてくださいスゴイ簡単ですからね。
なんでこんなことを100回聴かなきゃいけないかってくらい簡単ですよ。
幸せと言うものは、誰かが立っているところを想像して下さい。
立ってて歩いてる、ところで、
今立ってる場所から、不幸せな人は「実は不幸せの方に向かってるわけです」
その場で向きをちょっと変える。
幸せの方にちょっと向きを変えると「幸せの方に歩き出すんです」
で、幸せの方に歩き出すと幸せになるんだけど、実はその場で幸せの方へ向いただけで幸せになるんです。
それで幸せの方に向かいだすとすごく幸せで、そいでその幸せの方に向かいだした時に知り合った人ってみんないい人で、幸せになるんです。
それで「幸せ」って、幸せに到達したときじゃなくて実は「旅路」を言うんです。
その幸せの方に向かい、幸せの方に向かって歩き出した時に、心がスゴイ幸せになってくるんです。
ところがなぜ人が幸せになれないかと言うと、とんでもない間違いをしていて、
また、幸せじゃなかった人、幸せを掴めなかったような人が良く言う間違えがあって、
あまり大勢が間違えを言うと間違えが正しいような気なっちゃうんです。
それはなんでですかっていうと、不幸な方に向かってると嫌な奴と出会ったり苦労したり仕事で大変な思いしたりとかそういうことが出てくるんです。
その大変な思いをすると’その後に’幸せが来ると思ってるんです。
だから不幸せな方へ驀進してっちゃうんです。
で、その結果一生が台無しになるほど不幸になっちゃう。
それで幸せと言うのは、苦労して、嫌な思い、大変な思いした、その後に幸せくるものじゃないんです。
幸せと言うのは心が向かっただけで、心の持ち方ね、それでしあわせのほうへむかいだすと同時に向くと同時にしあわせになりその道を歩きながら幸せになる、だから自分が幸せにならないとしたらちょっとおかしいんです。
例えば、あれ、おかしいよ、例えば「自分は看護婦さんになりたい。なった。幸せになった?病人さんに一生懸命親切にしてるのに、幸せになった?」
ならないって言う。
「何か心があれで同僚やなんかイジメなんかある。」
それなってないよね。
それおかしいんだよ。
そしたら病院変えるとか、用は、看護婦さんまで辞めると言わないんだよ。
だけどこれ自分の幸せの道と違う。
幸せは苦労の後に来ると思ってると、もし来なかったらどうなるんですか?
苦労の後に待ってるものが苦労だとしたらどうなりますか?
で、みんながあたかも苦労の後に幸せが来るようなこと言ってるけど、言ってた人、あなた本当に来ましたか。
あなた本当に幸せになりましたか?
あなたスゴイ幸せになりましたか?
ほとんどなってないんです。
幸せとは幸せの道をたどりながら更に幸せになる。そんなことおかしいってそんなことない。
うーん、うまく言えないんだけど昔って将軍様がいたんです、で、江戸時代、百姓は百勝しかできないかったんです。百姓の家に生まれた人はすごい苦労する。苦労して苦労してやがていいことがあるからって、やがて歳をとるまでやってて、やがて歳をとって死んでったの。
ね、もうそうなった人はずっとそうだったの。
ところで将軍様、幸せだったよね、あんた、苦労して苦労して苦労して苦労して将軍様になったの?って、そうじゃない。ずっと生まれた時から幸せなんだよ。
あのね、騙されちゃダメって言葉を使いたくはないの。
だって、言ってる人も騙そうとしてるんじゃないの、言ってる人も知らないの。
幸せとは、幸せに向かっただけで「ああ幸せ」
だからもしこのテープがあなたにとって幸せを運ぶもんだとしたら、このテープ聞いただけで絶対幸せな気持ちになるはずだから。ね。
「ああ幸せな気持ちになった」そういう意味で会社に行って、例えばうちが出してる100回聴きテープじゃないけど、人のために明るくしようとか自分の機嫌とろうとかなって、あれが成功の道なの。
そういうふうにテープを聞き日常生活を送りだした時、幸せがどんどん来る。
「幸せ」は、苦労して苦労して苦労して辛い思いして我慢し我慢して、後にくるんじゃないんだよ。
その苦労して苦労して待ってるのは「苦労」だよ。
ごみの山の中に宝物がるような気がしてるけどそんなことじゃないんだよ。
花園は、花が繋がってるの。いい人って出てくるの。
成功の道にやな奴とか悪い奴は出てこないんだよ。天国に行く道にそういう奴っていないんだよ、それは地獄に行く道なんだよ。変な奴が手てきたり、イジメっ子が出てきたり、そんな茨の道じゃないんだよ。
人が幸せになる道って「花園」なんだよ。
そういうこと分かってもらいたい、それでこういうテープを聞いて向きを変えてもらいたいの。幸せな方に向かってもらいたいの。そしたら心が幸せになるの。
このテープを聞いただけで向いたとしたら、そのまま同じように会社行ってみて。
「何も私変わってません」
変わってるよ。だってこのテープあなた100回聞く気になって聞いてるんでしょ。
もう違う人なんだよ。同じ生活しててもこれを100回聴く、ああそうだ、100回聴こう、それはもういいことをむかって100回聴いて、100回聴くんだよって歩き出した人は幸せの道に向かって歩き出したんだ。
人生全部変わっちゃうんだ、何にも変えなくても変わって来ちゃうんだよって、それを言いたかったの。
だから100回聴くって言ったら100回聴けばいいの。99回とか1回じゃないの。
1回聴くことに「幸せに向かって歩いてるんだな」
そういう気持ちになってもらいたい。
幸せに向いてください、歩いてください。
そして幸せになってください。
そういう話です。